体験談・5(Yさん)(自閉症スペクトラム児)
Q1:申し込む前のこと
どういうことで悩んでおられましたか?
どういうことを解決したいと思われていましたか?
学校の教室から出て行ったり、はさみで髪の毛を切ったり、トイレに靴下を流したり、奇声、つば吐き、してはいけないことや恥ずかしいことの繰り返しの毎日でした。
なんとかしてやめさせたいと思っていたのですが、言葉が通じず、悩みながらどこの療育機関に行っても
「それのどこが悪いのですか」
「まだ発達段階的に難しいでしょう」
と言われるばかりで、結局は親の気の持ち様を変えましょうということでした。
小さい頃はこれでも許されたかもしれないけども、年齢が上がるにつれ、周囲の目も気になってくる。
学校からは「何もできない子」と言われ、障害のある子が社会の中で生きていくことの難しさを痛感する日々でした。
問題行動を減らしたい、できることを増やしたい、そのために何をすればよいのか、本を読んでも難しく、講習会に行っても習った通りに事は進まず、どうすればいいのか分からない自分にもイライラし、将来どうなるのか不安が募る一方で、半ばあきらめつつもありました。
とある障害者施設に置いてあった広報誌を見たとき、驚きました。
そこには、障害があるから何をやっても許されるわけではない、社会に適応できるようになることが、周囲だけではなく、何より本人が生きていき易くなるんです、と書かれていました。
初めてです。
これまで私が感じていた何かがあるように思いました。
これが、私がかくたつ播磨の療育を受けたいと思ったきっかけでした。
Q2:今、どうなっていますか?
(申し込む前の悩みの変化、あなた様自身の変化、お子さんの様子の変化など)
家でやるべきこと、カウント、100 並べ、体操など課題が見えてきて、子どもと向き合う時間が多くなりました。
指示に合わせられることや伝えたことが通じていると感じることが増えてきたように思います。
カウントしながら「静かにする」訓練は何度も繰り返しました。
外出先で騒がしい時も「静かにします。1、2、…」というと「はっ」となって口を閉じます。しばしの時間でも助かります。
心が追い付かないときは半べそをかきながら「1、2、…」と自分で数えているときもあります。
静かにしなければ、と努力しようとしているのでしょう。
「今はこうしなければならない」を理解していると思われます。
学校でも教室から脱走することはなくなり、苦手な歌や体操にも少しずつ参加するようになってきました。
デイサービスでもレクリエーションへの参加が増えてきていると先生から報告されています。
Q3:具体的によかったところは、例えば、どんなところですか?
子どもに伝わる方法を具体的にわかり易く教えて下さることです。
これまで何気なく喋って通じていると思っていたことが、実は全く通じていなかったことがわかりました。
抽象的な言葉を見える形で教えることが必要でした。
例えば「右」「左」。
一般的にいう「お箸を持つ手」「お茶碗を持つ手」では通じない。
「みぎ」「ひだり」と書いた紙をそれぞれの手に持たせて「右手上げる」「左手上げる」「右に歩く」「左に歩く」を何度も繰り返すことにより、理解できるようになりました。
「ぎゅっと持つ」「そっと持つ」。
ゴムチューブをテーブル上で押さえさせて、私が引っ張る。
「ぎゅっ」と押さえるとゴムチューブは動かない。
「そっ」と押さえるとゴムチューブはするっと抜ける。
これを体感し、目で見ることで言葉の意味を理解しました。
誰もが当たり前に使っている言葉の意味を習得するためには通常の何十倍もの時間と労力を必要とすることがわかりました。
心が折れそうです。
しかし、それは同時にこれだけのことをすれば理解できるようになる、ということであることもわかりました。
子どもの「わからない」を見つけて一つ一つに取り組んでいく。
一人ではできないことをサポートして頂きながら少しずつ前進できていること実感しています。
(補足;時計の学習。コツを伝え、時計がよめるようになってもいます)
Q4:印象に残っている具体的なエピソード、感動した・心が動かされたエピソードは、どんなエピソードですか?
注意されると癇癪を起こして和室に籠り、押し入れの扉を「バーン」と蹴ることがブームになっていました。
注意していたつもりでも隙を見て和室に入り、ものすごい音を立てて蹴り、ついには扉が壊れてしまいました。
怒りの極限に達した私は、教えてもらった方法をさせました。
そのときの言葉は【この子のわかる言葉で】がポイントでした。
絶対に負けてはいけないとばかりに私も必死でした。
子どもは癇癪を起こしながらもやりきりました。
お互いへとへとです。
これで本当にやめるのだろうかと半信半疑でしたが…。
その後、ピタリとやめました。
それから一度も扉は蹴られていません。
和室に籠ることもなくなりました。
効果あったようです。
修理してもまた壊されやしないかとそのまま放置している扉ですが、もう大丈夫そうなので、そろそろ修理しなければと思っています。
(補足;トイレに物を流すこともやめられています)
<補足>
【どう伝えるか】
ルールを守れるためには何が必要か。
ルール違反をしたら損をするという損得勘定や違反してしまった後にどうなるのかというイメージが要ります。こういう人間でありたいという「構え」「守れている自分は誇らしい」ということも必要です。
障害を持つ子はどうかというと、基本は同じです。
モノゴトの善・悪を教え込む。
マルを望み努力をする姿勢をもつ。
バツにならないように衝動をコントロールする。
多動で、刺激に反射的に反応してしまって、という人に怒っても意味はありません。
意図的な行動であったとしても、その意味を考え、本人が本当に言いたいことに対して付き合う必要があります。
そして、本人に【伝わる】伝え方をしなければいけません。
伝わっていなければ、何度も注意することに効果はありません。
さらに重要なことは、伝える側の本気さが伝わらなければいけません。
「また言ってるな」という程度では、ことの重大さは伝わりません。
誰でも思う通りにならずにイライラすることはあります。
でも、かんしゃくは起こしません。
予定変更が苦手な人もいますが、変更になったからといってパニックはしません。
障害者だからではなく、衝動をコントロールし、マナーを守ろうとし、礼儀を大切にしようとしているからです。
このことに関しても、障害の有無は関係がありません。
ただ、違うのは、障害を持つ人は、実体験がなくてもイメージするというのが難しいということです。
言葉でしてはいけないことだと伝えることが悪いとは思いませんし、必要ですが、それだけでは不十分なことが多いですではない。
例えば、成長していくと、
「こんなことを続けていたら、将来どうなってしまうんだろう」
と予期(将来)に不安を持ち、このように自問自答します。
知的に障害がある場合、この「予期不安」は起こりにくいのです。
そして、「自問自答」することも難しいです。
だから、「他問自答」をしていく必要があります。
「こんなことをしていたら、将来こんなことになるけど、どうするのか?」
「バカにされたら、嫌でしょ?」
「大人になりたい?赤ちゃんになりたい?」
(「赤ちゃんには戻れないよ、大人になるしかないんだよ」)
「カッコよく(カワイク)なりたいの?カッコ悪い(カワイクない)のがいいの?」
「こういうのは赤ちゃん、こういうのが立派なお兄さん(お姉さん大人)と思わない?」
「予期不安」が起こりにくく、その場主義になりがちです。
だから、伝えるときには「現実感・切実感」が重要になります。
「もう二度とこんなことしない」
と本人が思う実体験があって、
そして、
「ちゃんとやっていれば、周りからも評価されるし、親も喜んでくれるし、こっちの方がいいな」
になり、
「ちゃんとできていて立派な自分になりたい」
にしていくものとだ思います。
破壊行為をやめさせられた「教えてもらった方法」というのは、誰でもこれをやればよいという方法ではありません。
本人に合った分かる方法・伝わる方法を考えて提案しています。
そして、方法と同時に「絶対に負けてはならない」という強い気持ちも必要です。
教え方や教えるコツ、見せるコツ、理解のコツを伝えて、本人と家族、本人と社会をつないでいくのが僕の役割です。
その過程は、実際には、相当に時間と労力がかかる場合もあります(一発で学ぶ場合もありますが)。
諦めたくなるときもあります。
折れそうになる心を支えていくこと、
負けてはならないという気持ちを支えていくこと、
それも僕の役割です。