手段と目的
【目指しているところはどこなのか】
1.〇〇療法をする目的は何か?
〇〇療法、〇〇の手法、〇〇理論、〇〇アプローチは、
目的を達成するための手段、
少しでも目的に近づくための手段、
である。
目的というのは、『豊かに、張り合いをもって、幸せに生きる』こと。
お金があっても、
名誉があっても、
健康診断の項目がすべて良くても、
発達していても、
障害があっても、
障害がなくても、
不幸せな人はいるし、幸せな人もいる。
当たり前のことである。
目的のための手段であるから、目的が達成されたり、目途がたったら手段は切り替えていくものである。
〇〇療法、〇〇の手法、〇〇理論、〇〇アプローチ…何でもだが、これらの手段を使うのは一時的であり、外していくことが前提なのである。
2.手段は目的化しやすい
一時的で、外していくことが前提なのであるが、手段は容易に目的化してしまう。
目的になってしまうと、そうなっていることに気づかない。
なぜなら、達成できている感じがあるから。
健康食品を摂取すること自体が目的になったり、
お金を稼ぐ・貯めること自体が目的になったり、
こういうもの例はたくさんある。
3.手段が目的化すると、どうなるか?
間仕切りで例えると、
間仕切りの目的は、
一時的に間仕切りで刺激を整理して、シンプルな付き合いから始めて、間仕切りが無くても、人と交わりながら生きていけるようにすること
である。
手段が目的化すると、
どんな間仕切りがいいか、
もっと高くて分厚い方がいいのか、
と間仕切り自体を改良することに主眼が置かれてしまう。
間仕切りの中にいる時間がどんどん長くなることでの弊害には思い至らない。
間仕切りの中にいること自体が、その人の状態を悪くさせているかもしれないとは考えられない。
間仕切りは良いものなのであるし、それをしている自分は間違っていないし、本人のためになっていると疑わない。
間仕切りの中で叫ぶと、「こんなに安心安全な空間を提供しているのに、何が不満なの?」とさえ思ってしまう。
原因を見ないまま、
「こんなにやっているのに上手くいかない」
「まだ足りない」
という悪循環に陥り、同じ失敗を繰り返すことになる。
そうして、あっという間に、1年…2年と時間が経って、歳をとっていく。
〇〇理論は間違っていない、
〇〇療法は、すべてに対して当てはまる、
のであるから、
〇〇理論をしている自分が間違っているとは思わない。
自分のせいではなく、相手に原因があると考えてしまう。
これが通用しないこの子・この人が特別で異常なのであり、〇〇理論は間違っていないと考えてしまう。
実践して、いい結果が出ず、誰かに相談したとしよう。
すると、「〇〇療法が悪いのではなく、「本当の〇〇療法」をしていない未熟さ」のせいになってしまう。
方法や理論が間違っていないという判断がある以上、どういう結果が出ても、やり方を現状に合わせて修正されない。
現状に合わせた修正がなければ、
「〇〇は間違っていないと主張する支援者」
と
「どんなに〇〇をがんばっても、下手だとか理解していないとか言われてしまう保護者や本人(または職員)」
が生み出される。
4.手段の目的化を防ぐために
誰も「間違っているのではないか」と言えず、現状を変えることが出来ない。
間違っているのではないか…と思っていても言いにくい。
そういうことがよくあることは納得されるであろう。
〇〇療法を始めたり、何かに取り組み始めたら、
最初の段階から設問を立てておくべきだ。
・どんな効果があったか
・今、何が必要なのか
今後もそれを続けていくべきか
この方法を卒業していくべきか
ある方法でうまくいったからといって、見直しもせず、同じ方法を押し付けていないか
・そもそも、こうなっている原因は何か
一人ひとり違うのだから、その子にとって何が必要なのか、そもそもこれは必要だったのか
『この子は、この人は、幸せになってきているか?』
と問うていくべきである。