できるようになるために、発達の土台から築いていく
【方向があっている努力になるように】
発達障害の子に以下のような課題をした際に、このような書き方をするのをよく見かけます。
それを見て、
「この子はこんなものなのだろう」
と低い能力だと判断してしまって、同じ課題を何年も何年もしている児童がいます。
「この子は雑な子だ」
と判断されてしまって、学習を進めてもらえていない児童がいます。
これでは、この子が可哀想です。
これは、
この子が低い能力なのではなくて、
雑なのではなくて、
課題の意図が伝わっていないだけです。
課題を意図を「気づかせ」ることが必要です。
何に気づかせたいのですか?
させる側が、課題(ここでは点つなぎと線つなぎ)の意図を考えて実施しなければいけません。
意図が理解できていない場合もありますが、もちろん、運筆の技術的な問題もあります。
肩の動き、手の動き、持ち方、右手と左手の使い方などです。
ですから、身体を育てることが必要です。
以下でも書いていますが、枠内に収めることが目的になってしまって、ひらがなを習得できないということもあり得ますので、図形などを書く練習を(なぞりではなく)していくことが必要です。
このようにして、出来るようになるためのコツをキチンとつかんで、そのための基礎になる身体も育てる、そういう個別療育、集団療育をしています。
ちなみに、ここまでキチンと意味を考えて、この課題をさせている人はどれくらいいるのかなと思います。
なぜなら、いろんな人にこれを伝えているから、です。
なぜなら、ズレていても、はみ出ていても、マルがついていたりするから、です。
マルはつけている、けれど、「ダメだなぁ」「こんなものかなぁ」などど思っているので、評価に気持ちはこもりません。だから、本人たちに手応えが残らない。
本人は意味を理解していませんから、キチンとできるようにもなりません。
意図に気づいて、努力して、達成して、「出来たんだ!」と思う。
そして、気持ちのこもった「そう!できたやん!」が響く。
こういう交流が必要です。
「発達凸凹があるから」「知的障害だから」といって、手応えのない、上辺だけのやりとりをするのがイヤです。
手応えのあるやりとりがある生活、それが張り合いがある生活です。