自閉症 その付き合い方は、意地悪なのか

支援方法を試行錯誤すること

【「手段」が「目的」になってしまっていないか、「支援」が「業務」になっていないか】

多動な子ども(人)、こだわっている子ども(人)とつながっている感じがしない』の追記。

 

『限界を超える子どもたち-脳・身体・障害への新たなアプローチ』の訳者である伊藤夏子さんは、
最初に担当した男性とつながっている感じがないと思われていたのだろうと思う。
p.250

『原書を読み終え』、『この男性の食事を介助するとき』に『おかゆをのせたスプーンを口の手前で止めてみ』た。
『十五秒ほど待ったでしょうか。カクカク動きつづけていた身体が止まりました。目は天井を向いています。「おやっ」という表情です。』
そして、
p.251
『出会って九か月目にして、初めて、それまで遠い世界にいるとしか思えなかったこの男性と「つながった」と感じた』という経験されます。

 

自分で食べられないと思われる人に対して食事支援をしていて、食べ物を乗せたスプーンを口の手前で止めるというのは意地悪なのでしょうか。

 

『声をかけてみても、手を握ってみても、こちらに注意を向けることはなく』というのは、"注意を向けられなった"のであって、"注意を向けたくなかった"ではないだろう。
声をかけることが注意を向けられる材料になり得なかったのであろう。
ただ、声かけ自体が無意味なのではなく、声かけのタイミング、音量、声をかける立ち位置など「質」について検討する必要がある。

 

伊藤さんは、
p.251で
『日本の障害者福祉の現場の多くは、現代のあらゆる歪みが凝縮されたような場所でしょう。施設などで働くスタッフは、人手不足のなか、時間内に、正確に、決められた手順どおりに仕事をこなすことを求められ、そうするよりしかたないのが現状かもしれません。
しかし、毎日、毎回、同じ方法で介助することによって、本人の能力を制限してしまっているとしたら、どうでしょうか。
そもそも、乳幼児期から行なうリハビリや訓練によって、「できない」という経験を脳が学んでしまっているとしたら、どうでしょうか。』
と書いている。

 

スプーンを口の手前で止めるのは意地悪なのか。
そうではない。
『毎日、毎回、同じ方法で介助する』ことのほうが、本人の発達成長に対して悪なのだと考える。

毎日、毎回、同じ方法ですること自体が目的になっていないか、つまり、手段が目的化していないか、考えなれけばならない。
より効率的に、業務をし、日課を回すのが目的になっていないか、疑ってみなければならない。

 

発達・成長のために3点考えたい。

 

①バリエーション
バリエーションのない、毎日が同じ生活がずっと続くとしたら…。
つまらない!退屈である。
そんな生活は、はりあいのある生活とは言えない。
そんな生活を送っていたら、状態が悪くなって当然である。
状態が悪いという言い方も良くない。
その状態像が示すのは、彼ら彼女らの訴えである。
訴えを状態が悪いという言い方・見方をしているのである。

「自閉症だから」
「ルーティンが落ち着くから」
本当にそうなのかを疑う必要がある。
本当に、彼ら彼女らのためになっているか?
本当に、それで幸せなのか?
思考停止せずに考えたい。

「生き生きと過ごせるように(暮らせるように)」
こういう目標に沢山出会うけれど、そのためになされていることは一体何なのだろうか。


②(前回の『多動な子ども(人)、こだわっている子ども(人)とつながっている感じがしない』に書いた)つながり
介助が、機械のように口に運ぶものだとしたら、それは本人のためにならないだろう。
「今、食べている」
「今、誰と食べている」
「どんな物を食べている」
そういうことを知覚しながら、支援したい。

食器を空にすることにこだわっていたり、かき込んで食べる人と思われているけれど多動で動きがコントロールできないだけだったりする場合も同様である。
かき込んで食べなくて済むように、ゆっくり動くことや動きに注意を向けることが必要である。
空にすることに注意を向けるのではなく、次は何か、誰と食べているか、そういうことにも注意を向けたい。
マナーを守れれば、食事をする場所の選択肢も増える。
こういうことを教えていくためには、「つながり」がなければならない。
食べてしまってから「もう、早すぎる」と言ったり、口に入れてしまってから「ちょっと待って」と伝えても仕方がない。

 

③成功体験
伊藤さんも『そもそも、乳幼児期から行なうリハビリや訓練によって、「できない」という経験を脳が学んでしまっているとしたら』と書いておられるが、失敗がパターンにならないようにしなければならない。

『動きについて働きかけることの意味 2.「できた」体験の邪魔になる(雑音となる)ような誤作動の動きをしなくて済むようにする』
に失敗させないための方法を書いている。

失敗ばかりで自信がなくなっている場合は、できるところから始めてスモールステップして成功させたい。

こだわりに融通がきくように働きかけたり、パターンを崩していく場合にも、こだわってからダメと禁止するのではなく、こだわらずに済んで良かったと実感できるように取り組んでいく。
認知に偏りがある場合、感謝されている、良かれと思って、こだわっている場合もあり、そういう勘違いを解きほぐすことも必要である。こだわらずに済んでいることが良いことだ、評価されることだ、というように置き換えていかねばならない。つまり、これも誤った成功体験の積み重ねを皆に喜ばれる形(嫌がられない形)での成功体験の積み重ねにしていく、ということである。


僕が運動指導をしているのは、もちろん運動発達や身体の土台作りにアプローチするためでもあるけれど、運動を通して「発達に凸凹のある彼ら彼女らの心とつながりたい」からである。
運動は、いつも同じ種目はやらない。同じ回数でもない。
次は、「何をやるんだろう」という期待がある。
大失敗させない細心の注意を払っている。

そして、ちょっとずつ出来るように、成果が上がるように、組み立ている。
成長している実感、「出来るようになった」という実感がある。
だから、生き生きしてくる。
そうすると、彼ら彼女らの状態が良くなっていくのは当然とも言えるだろう。

ただ、そこには、それぞれの親子、それぞれの利用者さんと職員さんの課題があって、オーダーメイドである。
課題になることを、それぞれに解決していくのが仕事である。


かくたつ播磨

店主・守本 悠哉(社会福祉士・公認心理師)

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