動きを媒体にして、信頼関係を築く
【人は、人によって安定する】
4.良い人間関係をつくること、人付き合いをすること
「できた」体験を共有することは、支援者と本人に良い人間関係をつくっていく。
良い人間関係は人が生きていく上で欠かせない。
自閉スペクトラム症の人であっても同じで、知的に重度であっても同じで、障害の有無に関係ない。
人間関係をつくるためには、その人とコミュニケーションしていかねばならない。
自閉スペクトラム症で、知的にも重度で、話し言葉や発語がなくてもコミュニケーションはとれる。
動きを要求して、それに応えていく、それがコミュニケーションである、やりとりである。
「止めること」は「話すこと」と言える。
子どもが動く。それを止める。
その「動く」のと「止める」のが言葉と同じ。
動きは、人付き合いの媒介である。
良い人間関係は人が生きていく上で欠かせない。
自閉スペクトラム症の人であっても同じで、知的に重度であっても同じで、障害の有無に関係ない。
人間関係をつくるためには、その人とコミュニケーションしていかねばならない。
自閉スペクトラム症で、知的にも重度で、話し言葉や発語がなくてもコミュニケーションはとれる。
動きを要求して、それに応えていく、それがコミュニケーションである、やりとりである。
「止めること」は「話すこと」と言える。
子どもが動く。それを止める。
その「動く」のと「止める」のが言葉と同じ。
動きは、人付き合いの媒介である。
媒体は他にもいろいろあって、言葉が媒体であったり、勉強だったり、仕事だったりする。
自分が「止める」ということが、こちらから伝えたい言葉とすれば、それを伝えた結果、相手の中にどういうことが起こったのか、それに注目することが大事である。
相手の中にどういうことが起こっているのか。
相手は自分のことをどういう人間だと思っているのか。
こちらが言いたいことは、
「雑音のような動きは止められるようになるよ」
「そもそも、動きの発達をヌケを埋めたり、違う動きの経験を積めば、動きを変えられるよ」
「こんなことばかり繰り返していたら、人生充実しないよ」
いくら重度の人でも、そのまま言葉に出して、話しかけて、動きを要求していく。
そこで、「できた」体験を積めれば、コミュニケーションしようという気になってもらえる。
それまで自分の行動を自分でコントロールできず自信を失い荒れていた自閉スペクトラム症児(者)も、知的に重度な自閉スペクトラム症の人でも『まぁ、この人の話を聞いてもいいかな』くらいは感じてくれる。
それは、その後の動きを通した付き合い・やりとりの中で「話して」(応えて)くれるから分かる・感じる。
ステップアップしていっても、ちゃんと動いてくれる。
まんざらでもなさそうな顔をしてくれる。
もうその頃には『この人の話を聞いてやっていると「できる」な』と感じてくれているのが分かる。
最初に書いたような、自傷や他害、大声で困っていて、不穏にならないように、ストレスがかからないように、そーっとそーっと、というような付き合いをしているときとは、違う顔をしているのである。
したいようにさせていても、状態は良くならない。
信じて、求めて、「できた」を体験して、話し合って、良い人間関係をつくっていくから、状態は良くなってく。
さらに、相手との話題を豊かにしていく。
重度でしゃべれない場合でも、その子が考えているだろうこと、思っているだろうことを、こちらが言葉にして、
「こういうふうに思っているんじゃないの」
と伝え、
また、こちらから、
「それはお母さんやお父さんが君のことを考えてしてくれたことだよ」
とか
「ああ、そこで勘違いしたんやね、それはさぁ…」
とか
動きを要求して、動きのやりとりが成立しているところに、その子(人)が悩んでいること、困っていることを言葉にして話し合ったり、こちらが伝えたいことを伝えたりして、話し合いをする。
本人に話しかけていくことは、精神療法である。
---------------
『治療のこころ(巻17・平成25年)』(著:神田橋條治)
「臨床力を育てる方策」
p.87
考えが動くようになって、感情の沸き立ちが減るの。だから感情の沸き立ちにピタッとする言葉を与えるということは、治療になるわけ。言葉を与えると感情は少し冷えるの。(中略)言葉を与えるということは、感情の興奮をある程度、沈静化させる。だから、そうするわけだ、ね。
p.88
行動がワーッとふくれている時には言葉をそれにくっつける。言葉が冷静に進んでいる時には行動をくっつける。(中略)そうすることで治療になる。
---------------
本人が勘違いしていたり、分からなくて、パニックになったり、自傷したり他害したり、そういうときに、無駄な失敗をさせてしまわないためにも、怪我をさせてしまわないためにも、全力で止めるわけだけれど、それを通訳して、言葉にしていく。
言葉を与えると感情が冷えてくるということは、パニック状態、興奮状態になったとき、言葉を与えると落ち着いていく、ということ。
言葉にした途端に収まった場合を体験しているし、落ち着いて運動していたけれど、本丸について話を切り出した途端に興奮する場合も経験している。
ただ、そんなに簡単に収まらない場合がたくさんあることも知っている。
しかし、動きのやりとりをきっちり積んで、人間関係をつくっていれば、そういう状態に陥ってしまったとき、陥りそうになったときに「動きを要求する→それに応える」ということができるようになっているから、他の刺激や気になることに突進していかずに済み、自傷や他害の動きをしてしまわずに済むのである。