作業をしなくて困る…その要因
【行動障害は、その行動だけを改善すればよいのではない】
『作業をしない人』
特別支援学校を卒業して、通所施設で働き始めた。
しかし、仕事(作業)をしない。
作業をせずにウロウロしている。「したくない」と言って別のことをする。
職員さんは、本人がやる気になる課題はないかと探したり、これが出来たらこういうメリットがあるとご褒美を設定したりすることもある。
しかし、乗ってこない。
作業をしない。やりたいことしかしない。
だんだんと問題行動が目立ってくる。
どうして、こうなるのだろうか。
例えば、自閉症のAさんは通所施設に通っている。
Aさんにいろいろと話をして、『自分で紙に「僕は大人です」と書こう』と伝えた。
自ら机に向かい、自らペンを持つ。
しかし、「大人です」と書かない。
「大人の男″子”です」と書いたり、
「明日から」と書き加えたり、
「大人(子ども)」と書き加えたり、する。
何とかして、「大人」と書かないようにする。
"とりあえず「大人」と書いておいて、後で…"というズルさはない。
なぜ書「け」ないのか?
なぜ書「か」ないのか?
・大人になるのが怖かったり、不安
大人になったら、ガマンが増えたり、ワガママが通らなくなる。子どもがすることができなくなる。
・自分ルール
「20歳になったら大人」という自分の理屈(マイルール)に固執している。
「高校を卒業して働いているなら大人」というこちらの話を聞こうとしない。
そもそも、「大人ではない」と考えている人に働く構え、働いて稼いで、そのお金で買い物をする、ということを教えられない。
「欲しい物を買うのに、お金が足りなかったら、親がお金を出してくれる」と思っている人が、どうやって精一杯働くのか。
もちろん、この人となら上手く動けて働ける、働くやりがいがあるから働く、ということもかなりある。“うまくやれている”という実感を持たせ、しっかり評価することを重ねれば、働けるようになる人はたくさんいる。
「大人ではない」人に、ソーシャルスキル、お金の使い方などを練習しても、表面的な取り組みで終わる。
目立ってきた問題行動に対して、制限したり、精神科の薬を服用させたりする。それも方向違いである。
問題行動が目立つのは、発達障害をもつ彼ら彼女らが、
"自分はどうしたらいいのか"
"どう生きればいいのか"
という苦悩が行動化されたものなのだから薬が解決するはずがない。
この人に根本からよくなってほしい。
そう考えるのであれば、子どもを卒業して、大人になってもらわねばならない。
書けたその日から「大人」になれる人もいる。
「大人」になろうと努力を続ける人もいる。
何度も繰り返して「大人」の覚悟を決めていく人もいる。
どれだけ時間がかかろうが、不可欠な取り組みである。
時間がかかって、なかなか覚悟が決まらない人でも、それまで「ちょっとしたことでかんしゃくを起こしていた」り、「ちょっとした変更でかんしゃくを起こしていた」のが、起こさなくなるという変化はある。
その一歩一歩の進歩を、確実にとらえて、「大人の構えができてきた」ということを伝えて続けることが大事である。
「子ども」という自己認識を変えていかなければならない。
これは、障害の有無や程度とは関係がない。
『大人とは?』
の問いに対して、
「ひげを剃ること」
と答えた人がいた。
こういう認識では働き続けるのは難しいのではないかと思う。
ただ、見ていることをそのまま捉えてしまう人が多い。
発達障害をもつ人は、そういう認知をしてしまいがいなので、キチンと中身を教えていく必要がある。
何のために髭を剃るのか?
何のために清潔にするのか?
髭を剃ったら大人なのではない。
大人として、社会参加し、仕事し、皆と一緒に生きていくために、一緒に働くこと仲間と気持ちよく仕事するために、髭を剃るのである。
例として、ひげ剃りを挙げたが服装やお風呂に入ること、自分の部屋を掃除することも同様につながっている。
自分で、自己認識について考えるには、「自分は大人だろうか?子どもだろうか?」と問い、それに答えていく必要がある。自問自答というものである。
自問自答が難しい人たちには、必要な時期に、本人が分かる言い方で、こちらが問うてあげる必要がある。
問われて、何やら考える。
拒否かも知れないし、葛藤かも知れない。納得かも知れない。
どういう反応があるか、見なければならない。
見えた反応に対して、「あなたは、こういうことを考えたのではないか」と、また話し合う。
言葉のない人の場合は、こちらが言葉にして問うてあげる必要がある。