自閉症の人の行動をどう観て、どう捉えるか
【決めつけないで見れば、違うものが見えてくる】
初めて読んだその文章には、
『自閉症の人がしている行動イコール自閉症特有の行動と書かれる。しかし、それは勘違いであって、しっかり教れば、そのような行動をしなくて済む』
教えることが出来るのであるから、
『自閉症特有の行動だと断定して、そのままにしていたり、危ないことをさせているのは、周りの人間が手を抜いていると言える』
というようなことも書かれていた。
そうすると、一つ目の施設で、コーヒーにこだわり夜も眠れなくなった人が受けていた(にしていた)支援、僕が見た支援は「手を抜いていた」ということになる。
衝撃的であった。
しかし、「やっぱりそうだったのか」と腑に落ちた。
そして、「教えることができる」つまり「良くすることができる」という希望をもった。
腑に落ちたからこそ、希望をもったからこそ、この文章のめり込んだのだと思う。
僕は、
「自閉症の人の行動を見て、『自閉症だから』と決めつけない」
「しなくて済むように教える支援をする」
「どうにかして良くする」
と決めた。
『自閉症だから』と決めつけずに、自閉症の人を観ていたら、「自閉症の人はわけがわからない」ではなくて、自閉症である前のその人自身(人となり)が観えてくることに気づいた。
こういう観方についても、個別指導や職員研修でお伝えしている。
『自閉症だから』『不思議な人だね』という思い込みをなくして、「その人自身」と付き合ってほしいと思う。