薬はあくまで手助け
【「こだわりを保証してあげて」と言われても…】
【どうしてもやめてほしいこだわりはありませんか?】
食卓テーブルの上に、物が置いてあったとします。
すると、子どもは、いかにも「机の上に置いておきたくない」という様子で投げ飛ばして割ってしまったりする。
投げ飛ばされて割れたら大変なので、うっかり物も置けない。子どもから見えないように隠す。
「もう~!置いておいてもいいでしょ!」などのようなセリフをつぶやくかも知れません。。
心の中ではいい加減にしてほしいと思うかも知れません。
割るまでいかなくとも、物が置いてあったら渡してくる。受け取らないと、いつまでもシツコク渡してくるし、イライラしてかんしゃくを起こす。何も進まないから、結局は子どもの言うとおりにしてしまう。
家の中でのこと、小さなことなら、「この程度のことなら…」と考えて、子どもの思う通りにしてしまうかも知れません。
しかし、外出先で、車の停める位置にこだわり車を叩く、他人が使っているトイレ・カゴを使おうと奪う、他人のジャンバーのチャックを上げにいく、マスクやメガネを取りに行く…などなど、こういうこだわりは「この程度」で済みません。困るから止める、すると、大声で騒いだり、他人を叩きに行ったりする。
「子どもがかんしゃくを起こさないように、こだわらないように」と家族が気を遣う毎日、外出もままならない毎日、それは幸せなのでしょうか。
「このままではいけない」「何とかしなければ」と、こだわらないように挑戦するけれど、やっぱり上手くいかない、止めれない。さらに大声を出してしまった…。
やっぱり、「こだわりは安心しているからさせておかなければならないのか…」と悩んでおられる。
【そこには、『こだわりは治らない』という思い込みはありませんか?】
しなくて済むようになります。
融通がきくようになって、安定した、穏やかな生活を送れている人はいます。
子どもに気を遣う毎日ではなくなった家族はいます。
同じような状況は、どんな場面でも想定できます。
・食事の最初にお茶を飲みたがる、飲まないと食事を始めない
・リモコンやティッシュの箱、ゴミ箱などを置く場所(位置)をいつも同じにする、強引に元に戻す
・お店の商品を並べ替える
・同じ服、上着とズボンの同じ組み合わせでしか着ない
・家に帰ったら、カーテンを全て閉める
・電気をつけない、もしくは消さずにつけっぱなしにする
・テレビは同じチャンネルばかり(家族が変えらない)
・食事の際や車内で自分の座る席を決めている
・いつも同じぬいぐるみやオモチャを持ち歩く
・いつも同じ店で、同じものを買っている(なかったらどうするか…)
などなど、挙げればきりがありません。
【こだわりの場面で起こっていることは何か?】
「子ども」
子ども自身も、こだわってしまうことに困っています。
やめたくてもやめられなくて困っています。
親がやめてほしいと思っていること、褒められないことを望んでしたいとは思いません。
褒められたい、認められないのです。
問題なのは、『いかにも、したい(したくない)様子で』と書いたように、したい(したくない)ように『見える』ことです。
見えるだけではなく、猛烈な抵抗をするので、本当にそうなんだと思ってしまいます。
そう『見える』からといって、本当にそうしたい(したくない)とは限りません。
したくないのにしてしまった後悔の泣きもあるだろうし、それ以外の行動を選択できない苦しさもあるだろうし、いつもと違うことに戸惑う気持ちもあるだろうと思います。「止めてほしい」「もうしたくない」と言いたいのかも知れません。
つまり、全てがそうとは言いませんが、したいとかしたくないとか、好き嫌いとか、それだけの問題ではない、ということです。
「親(家族、職員)
本人の思いを尊重して「あげていた」のが、だんだんと「させられている」状態に追い込まれます。
すごく疲れます。
しつこかったり、大声を出したり、自傷・他傷があると「させられている」実感があるかも知れない。
【こだわりをそのままにしておくと、どういうことが起こるのか?】
物が置いていないか、電気がついていないか、扉が開いていないか、いつもいつも周囲を見張っている、そんな過敏な状態になります。
疲れます。疲れるから、ちょっとトーンも下がって落ちつくかと思うけれど、その反対に、もっと過敏になり、かんしゃくを起こしやすくなります。
したくなくてもしてしまっていると、子ども自身が矛盾を感じ、自信を失っていきます。
子どもはだんだんと「自分の言動により、相手は自分の思う通りに動く」と考えてしまうかも知れません。
「大声を出せば、自分の思う通りになる」と考えるようになると、学校や施設などの他の場面でも、人の話を聞けなくて、周りに合わせられなくなる。
どんどん融通がきかなくなって、何の変更もできなくなってしまい、どうしても変更しなくてはならない(売っていない)ときに、かんしゃくを起こすしかなくなります。
どんどん思う通りにする範囲が広がっていく。
自分の行動範囲だけではなく、親や兄弟姉妹の行動までも管理し始める。
それが少しでも崩れると大パニックになる。
いざとなっても、病院にいけない。診てもらえない。診てもらえないとどうなるか。
テレビのチャンネルは変えられないし、食べる物も同じ。
親や家族の自由がどんどんなくなっていく。
家の中の空気は重くなり、ストレスがたまってくる。
子どもはかわいい、そのはずなのに、子どもの自傷や他害が怖い。
受け入れらなくてなってくる。
そういう自分を責めてしまう。
とても辛い。
こだわりに融通がきかないことは、同時に、子ども自身をも苦しめ、子ども自身の自由を奪っていく。
人の話を聞けないので、可愛がってもらえない。
孤独になる。
『薬を増やしましょう』と言われる。
机の上を見張って、電気をチェックして、扉を往復する人生になる。
こだわりに縛られているような状態です。
そんな人生を望んでいるのだろうか。
そんな人になってほしくない。
そんな人生はつまらない。充実した人生とは言えない。
発達障害、自閉症スペクトラムだからといって、障害があるから可哀想、好きなことをさせて嫌がることはさせないという生き方だけを望んでいるのだろうか。
彼ら、彼女らにだって、「できた!」という経験、心の支えになる経験、生きていく自信が必要ではないか。
「たとえ一つ覚えでもいい、自分自身に確実に心の支えになるものを自分の努力で獲得したことがあるか」(『美しい生き方に感動しよう』(著:鈴木健二)講談社+α文庫、p.82)
そういうものを獲得してほしい。
融通がきく、こだわらなくて済む、ということが、単純な禁止ではなく、自律的で、自律できていることが誇りになるようにしていかなければいけません。
自主性を尊重することや感覚過敏などを否定するわけではありません。
むしろ共感を持ちながら、それでも、少しずつ力をつけてほしい。
好きにならなくても良いのです。
好きにならなくても良いのですが、耐えられるようになって幅を広げてほしい。
騒いだり、大声を出したり、叩いたりせずに、過ごせる力をつけてほしい。
そうすれば、散髪屋にも行けるし、歯医者にも行ける。
充実した人生を送れる。
融通がきくようにすることは、その子の人生を変える。
こういう状態になってしまった子ども(もちろん大人になっても)、本人を救いたい。
こういう状態になってしまっている母親を、家族を救いたい。
こういう状態にならないように、助けたい。
自分への信頼を取り戻し、自信を持って生きていけるようにしていきたい。
【子どものこだわり、どうすればいいのか?】
まずは、課題や運動を通して、人に合わせる力を身につけていってもらいます。
その時点で、「いつもこうだけど、こうしようね」が聞けるようになってきます。
神経に働きかけ、発達していけば、それだけで解決することもあります。
そして、子どもそれぞれにこだわっているものがありますから、どんなことにどの程度こだわっているのかをお聞きして、何から融通がきくようにしていくのか、一緒に考えます。
子どもが、融通をきかせれたことを誇りに思えるように、こうした方が感謝される、褒められる・認められる、ということを感じてもらうことが大事ですので、そうなるようにお伝えします。
こだわなくて済んだという体験を、一緒に、実際に、していただきます。